人材マネジメントの国際標準化進展とどう向き合うか
11 5月 2021
人材マネジメントまで届いた標準化の波
人的資本の情報開示ガイドラインISO30414
その内容はどのようなものか。ISO30414は以下のように、対象を大企業と中小企業の2パターンに分けながら、人材マネジメントの11領域におけるメトリクス(測定指標)について情報管理・開示のガイドラインを示している。
Human capital areas and metrics for reporting (ISO30414のメトリクスより一部抜粋)
公開推奨となっている指標を見てみると、まず従業員当たりEBITやHuman Capital ROI(人件費を除いた収益に対する人件費の割合)といった生産性指標を投資家目線で判断できるよう求めていること、そして労働安全やダイバーシティ、人材育成といったソーシャル・レスポンシビリティに関する指標を丁寧に公開するように求めていることが分かる。
より注目に値するのは、このガイドラインが、各企業が情報公開をスムーズに行うため、そして事業戦略に基づいた人材マネジメントの実行を進めるために、内部(=非公開)で管理・モニタリングすべき人材マネジメントの測定指標を詳細に設定している点だ。例えば、自社の戦略的事業領域において従業員が必要なコンピテンシーを持っているのか、経営層、事業部長層のサクセッションがどれだけ有効に実施できているか、3年後、5年後のサクセッサー候補が社内にどれだけいるのかなどが挙げられる。
EUが目指す人材マネジメント標準化の射程
これら標準化への対応のあり方を述べる前に、欧米各国が人的資本の情報管理・公開についての国際標準化を推し進めているのはなぜか、を改めて考えたい。企業がこれまで個別に行ってきた人的資本の情報管理の高度化を議論し、そのガイドラインを丁寧に公開しているのが、ただの向上心・親切心からだと勘違いしてはいけない。右手で握手しながら左手で殴り合うのが外交であるといわれるが、国際標準の策定もまた生き馬の目を抜く競争の世界であることは、特に今、環境マネジメント指標や脱炭素化に悩まされる製造業経営者の多くの方が痛感しているのではないだろうか。
欧州委員会(EUの政策執行機関)の政策討議資料や、その人材マネジメント指標を見てみると、EUが人材マネジメント指標を、あくまでも環境マネジメント/ソーシャル・レスポンシビリティの変革と地続きの変化として推進していることが分かる。彼らは、新しい環境規制をグローバルスタンダードとし、その変化に対応するためには大掛かりな産業単位でのスクラップ&ビルド、そして各産業・企業においても厳しいトランスフォーメーションが求められることを理解している。その上で、変化のイニシアティブを取るとともに、各企業・産業ごとの人財(Human Capital)の状況を正確に把握し、域内の人材の再配置・リスキル・アップスキルを半ば強制的に進めることで産業の大転換に備えようとしているのだろう。実際、ISO30414は産業ごとに今後重要な指標となる職種郡やコンピテンシーを共通化することを推奨しており、EUでも様々な産業ごとに要員・スキルの将来変化を定義することが試みられているようだ。
これからの国際標準化進展とどう向き合うか?
さて、このような欧米各国のルールメイカーとしてのしたたかさをふまえ、今後の人材マネジメントの国際標準化進展とどのように向き合っていくべきか。まずやってはいけないのが、国際標準に則った情報開示の推進を焦るあまり、人事部/コンサルタント任せでの表面的な測定指標の収集や、中身を伴わない成果導出を進めることである。これでは自社にとっての国際標準化対応は、不要なエクセルワークに頭を抱える社員を生むだけ、単なるコスト増と競争力低下を招くだけになってしまう。
大切なのは、自社が今後どのようなビジネス上のトランスフォーメーションを実現していかねばならないのかを認識し、そのために必要な切り口、測定指標に基づいて人材マネジメントを推進していくことである。もちろん、このためには、こうした人的資本の議論をCEO/CHROをはじめとした経営陣がイニシアティブをもって進めるとともに、取締役会による適切な監督・モニタリングが行われることが欠かせない。これらの推進のあり方については、経済産業省の人材版伊藤レポート(2020)に詳しく解説されているため、ここでの深い言及は行わないが、つまりは、表面的な対応ではなく、自社の成長に向けた本質な議論・変革が求められているのである。標準化の移行期間であるからこそ、全てを無理に揃えるのではなく、ISOや欧米各国のHRレポートで具体的に示されている指標が自社にとってどのような意味を持つのかを考え、優先すべき指標の設定を進めていくべきだ。
多くの日本企業においては、ジョブ型雇用やポジションごとの管理が前提となっているガイドライン上の一部の測定指標が議論のハードルとなり得るかもしれない。しかし、そうした本質的な雇用のあり方の変更が自社にとって必要か、必要でないのかといった議論にも、国際標準化という外圧を逆手にとって、この機会に腰を据えて臨むことができるのではないだろうか。
政府・業界団体においては、欧米各国の取組みのベンチマークをふまえ、産業別の本質的な競争力向上に資する、人的資本情報管理のサポートをこれまで以上に積極的に推進すべきだろう。残念ながら、現在日本は33カ国から構成されるTC260の推進メンバーには入っておらず、オブザーバーにとどまっている(G8で推進メンバーとなっていないのは日本のみ)。既に出遅れてしまっている状況ではあるが、挽回に苦しんでいる環境マネジメント指標や脱炭素化などと同じ轍を踏んでしまわないことを期待したい。
主要参考文献
- ISO (2018) “ISO 30414:2018 Human resource management — Guidelines for internal and external human capital reporting”
- その他の人事組織関連のISOスタンダード策定状況については下記URLに記載がある
https://www.iso.org/committee/628737/x/catalogue/p/1/u/0/w/0/d/0 - TC260への参加国情報は下記URLを参照
https://www.iso.org/committee/628737.html?view=participation - European Commission(2020)”Strategic plan 2020-2024 – Human Resources and Security”
- European Commission(2020)”Communication - European Skills Agenda for sustainable competitiveness, social fairness and resilience”
- EUにおける産業別のworkforce分析の例としては、下記が新しい
European Commission(2020)”European Construction Sector Observatory Improving the human capital basis” - 経済産業省 (2020) 「持続的な企業価値の向上と人的資本に関する研究会 報告書~ 人材版伊藤レポート ~」
- 高橋莞爾(2012)「世界標準化としてのISO国際規格についての考察」、千葉大学大学院人文社会科学研究科研究プロジェクト報告書第217集「日本における『標準化』の史的考察」三宅明正 編
- マーサージャパン(2021)「日経文庫 ジョブ型雇用はやわかり」日本経済新聞出版