経営戦略と人材戦略を連動させる「人的資本経営」の実践ステップ
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本記事では人的資本経営の定義や注目された背景、人的資本情報の開示義務の内容など、人的資本経営を理解するための重要なポイントを解説します。
自社における人的資本経営の在り方を考え始めたものの、その背景や意義について理解したい方や、現在取り組んでいる人的資本の情報開示の仕方をより改善したい方はぜひ参考にしてください。
(本記事の情報は2024年3月現在のものです)
人的資本経営とは「人材を『資本』として捉え、その価値を最大限に引き出すことで、中長期的な企業価値の向上につなげる経営のあり方」と定義※1されています。人的資本経営が着目される以前は、人材は資源であり費用計上の対象と解釈されることが多くありました。
しかし、企業経営におけるイノベーションの重要性の高まりや、非財務情報への関心が高まる中で人的資本を重視する声が高まり、人材を管理する経営から、人材を資本ととらえる経営へと世の中の意識が変化してきました。
デジタル化や脱炭素化、新型コロナウイルスなどの影響で産業構造が変化する中で、人的資本の重要性が増しています。人材を企業競争力の源泉と捉え 、パフォーマンスを最大限に引き出すための人材戦略を策定し、適切な環境や育成の場を提供することが求められています。
人的資本経営における人的資本(Human Capital)について、もう少し掘り下げてみましょう。冒頭でお伝えした通り、従来は人材(Human Resource)を「ヒト・モノ・カネ・情報」の四大資源の一つとして捉えていました。人材を管理すべきコストと捉えると、利益を追求するためにコストカットもやむを得ないと判断するケースもありました。
人材を資本としてとらえ、積極的に投資を行うことで、企業価値の向上を後押しすることができます。
人的資本の特徴 | |
頭脳がある | 仕事や学びによって、知識・スキル・能力(KSAs: Knowledge,Skills,Abilities)を磨き続けることができる |
心がある | Well-Being(心理面・健康面)の状況やモチベーションによって、人的資本が創出する成果や行動などアウトプットの品質に大きな影響を及ぼす |
足がある | エンプロイアビリティの高い人的資本は会社間を流動する可能性がある |
人的資本は頭脳を持ち学習が可能であり、また、心があるので心理面や健康面がパフォーマンスに影響をもたらします。すなわち、人的資本への投資の良し悪しで投資以上のリターンを出すこともあれば、その逆も起こり得ます。人的資本は、可変性を持つ資本であると認識することが大切です。
また、人的資本に積極投資した結果、学びをもとに別企業へ転職してしまうケースもあります。固定資本は設備投資をしても勝手に他社に移動することはありませんが、動的な(足を持っている)人材は、自らの意思で働く場を選ぶことができるのです。
投資家やステークホルダーの関心が無形資産に移行している点も、人的資本経営が注目された理由の一つです。例えば、米国のS&P500企業の時価総額構成は1975年から2020年にかけて、無形資産割合が17%から90%まで高まっています。
投資家たちは、有形資産(金融資産、土地、建物、機械など)のみならず、無形資産(人材、特許等の知的財産、ブランドなど)を含めて、将来の企業価値を判断するようになっています。そのため、無形資産の中でも大きな割合を占める人的資本の価値を高める取組み、すなわち人的資本経営が注目を浴びるようになったのです。
ESG投資やSDGsの広がりも、人的資本経営が注目された理由の一つです。ESG投資とはEnvironment、Social、Governanceの3カテゴリの非財務情報を考慮して行われる投資のことです。SDGs(Sustainable Development Goals)は、国際社会全体で取り組むべき目標として、2015年に国連で採択された「持続可能な開発目標」を指します。
ESG投資とSDGsは、企業が持続可能なビジネスを展開するために果たすべき社会的責任を重視した概念で、ともに人的資本経営と密接に関わっています。
例えば、ESG投資では「Social」に人的資本が含まれており、SDGs17の目標の8で掲げられている「働きがいも経済成長も」は、人的資本に関連しています。
このように、人的資本経営と関係性の深いESG投資やSDGsへの関心の高まりは、人的資本経営の広がりを後押ししたと考えられます。
労働人口減が続き、新卒一括採用や終身雇用制度を前提とした画一的な人材管理は限界を迎えています。今後も続く少子高齢化に対応し、多様な働き方のニーズに答えながら一人ひとりの人材を活かせる経営手法が求められています。
また、企業をグローバルに成長させるためには、異なる文化や価値観を受け入れる組織を作らなければなりません。このような日本における労働人口構造の変化と多様な価値観を持つ人材の活躍の必要性を背景に、人的資本への注目度が増していると考えられます。
人的資本への投資は、VUCA時代に沿った戦略を立てながら、自社の競合優位性を構築する意義があります。経営層によるトップダウン型の戦略立案だけではスピード感や柔軟性に欠け、急速に移り変わるビジネス環境に十分に対応しきれないケースも増えています。
そこで、現場主体でスピーディーに判断ができるよう、組織内部の人的資本に戦略的投資を行うことが求められます。加えて、優秀人材の発掘や採用・育成を通じて社員の活躍フィールドを広げ、経営環境の変化に適応できる体質を強化すべきでしょう。
人的資本経営への取り組みは、投資家やステークホルダーへの訴求といった経済的意義もあります。先の章で説明した通り、企業価値の構成要素は有形資産から無形資産に転換しつつあるため、投資家たちは財務情報のみならず、人的資本を含む非財務情報も重視して投資判断を行うようになっています。
投資家への訴求と、企業価値向上のためにも人的資本経営に取り組む意義があるでしょう。
人的資本経営は、持続可能な社会の実現のために取り組む意義もあります。ESGs投資やSDGsが注目され、世界全体でサステナブルな経営活動が求められるようになっています。
人的資本を始めとする非財務資本は、サステナブルな企業活動の基盤とされています。こういった世界的な潮流をふまえ、人的資本経営を推進する意義があるのです。
ここからは、具体的な人的資本経営の実践ステップを解説します。説明の便宜上、次の5ステップに分けて解説します。
ステップ1:経営戦略と人材戦略 を連動させるストーリーを構築する
ステップ2:目標と現状のギャップを埋めるために人事施策を検討する
ステップ3:人事施策の実行およびKPIを決定 する
ステップ4:開示方法を検討する
ステップ5:モニタリング・改善を行う
ステップ2で企画した各人事施策を実行します。同時に、施策進捗の有効性を測るための指標を決めましょう。自社の指標を決定する際は、独自性だけでなく他社との比較可能性の観点も含めて適切な指標を選定します。
具体的には、ISO30414や人的資本可視化指針など各種ガイドラインを参考にして、他社比較の観点を考慮して開示項目を洗い出し、検証することが推奨されます。
また、現時点では計測・モニタリング・管理が不十分で開示が難しい場合でも、投資家との対話に向けて、将来的な開示予定も含めて指標を検討することが重要です。
開示指標の一つとして掲げられている「男女間賃金差異」の調査方法にお悩みの方は、こちらの記事もあわせてご確認ください。
ステップ1〜3で定めたストーリーと実施内容について、開示方法を検討しましょう。時間軸を 考慮したIR的観点から、また、義務化された開示対象の観点から開示方法を検討することが有効です。
例えば、時間軸では過去から現在の推移(改善率・増加率)を開示するのか、それとも現状の情報に加えて将来の目標値なども開示するのかなどを検討します 。開示対象については、どの組織(法人・部門等)を開示の対象とするのかを検討しましょう。
なお、開示のもととなるデータ収集のあり方は、グループ会社との関係性や人事情報システムの整備状況に依存するため整理が必要です。情報開示に向けてスムーズにデータ収集ができるよう、情報システムへの投資や体制整備も人的資本投資の一環として捉え、検討を進めることを推奨します。
人的資本経営は、自社の企業価値向上と競争優位性の構築に向けた重要な取り組みです 。企業全体で取り組めるよう体制を整え、関係者間で認識合わせをしながら推進しましょう。
CHROや人事部門 には、経営層や関係部署に対して質の良い「問い」を立てて、経営の意思決定やステークホルダーとの対話をサポートするコンサルティングスキルが期待されます。自社ならではの人的資本投資の意義を言語化し、投資が企業価値向上につながるストーリーを経営層に語れるレベルにまで、落とし込むことが重要です。
そして、人的資本への投資ストーリーや投資の進捗度について、ステークホルダーと建設的な議論を行い、人的資本経営をブラッシュアップしていく循環サイクルを回していきましょう。
CHROに求められるスキルや機能について、次の記事も参考にしてください。
関連記事:Leadingthepeoplefunction:Listener(よい聴き手)としてのCHROとは?|想像的破壊の時代
「公表が義務化されたからとりあえず開示する」「人的資本経営が流行しているから取り組む」など、情報開示することが目的にならないよう注意しましょう。目的と手段をはき違えれば、ただのデータ収集に終わってしまい、期待した成果は得られません。
なぜ今、人的資本経営に取り組むのか?自社の経営戦略とどう紐づけるのか?という問いを立て、その企業ならではのストーリーで語れるように意味づけをした上で臨むようにしましょう。
コンプライアンスと倫理 | compliance and ethics |
コスト | costs |
ダイバーシティ | diversity |
リーダーシップ | leadership |
企業文化 | organizational culture |
企業の健康・安全・福祉 | organizational health, safety and well-being |
生産性 | productivity |
採用・異動・離職 | recruitment, mobility and turnover |
スキルと能力 | skills and capabilities |
後継者育成 | succession planning |
労働力確保 | workforce availability |
人的資本経営に取り組む際に、人材版伊藤レポートで提唱された人的資本経営のフレームワーク「3P・5Fモデル」も注目されています。
3P・5Fモデルの3Pとは、人材戦略が企業価値の向上につながっているかを確認する視点(Perspectives)のことで、「経営戦略と人材戦略の連動」「Asis‐Tobeギャップの定量把握」「人材戦略の実行プロセスを通じた企業文化への定着」の3つを指しています。
5Fは「動的な人材ポートフォリオ」「知・経験のダイバーシティ&インクルージョン」「リスキル・学び直し」「従業員エンゲージメント」「時間や場所にとらわれない働き方」を指し、人材戦略に欠かせない5つの要素(Factors)とされています。
米国では、SEC(米国証券取引委員会)が2020年11月に非財務情報に関する規則を改正し、年次報告書において人的資本の開示義務を公表しました。これに追随する形で、日本では2023年3月決算分以降の有価証券報告書で、人的資本の公表義務が追加となっています。対象となるのは上場企業約4000社で、具体的には「人材育成方針」「社内環境整備方針」において、必要に応じて次の3項目を記載することが決定しました。※5
人的資本経営は、「人材を『資本』として捉え、その価値を最大限に引き出すことで、中長期的な企業価値の向上につなげる経営のあり方」です。技術革新の進歩や無形資産への関心の広がり、少子高齢化による労働人口構造の変化などさまざまな時代変化のなかで注目を集めています。
人的資本経営が注目される以前から、「企業経営には人材の力が必要不可欠である」と発信してきた企業も少なくありません。すべてが新しく登場した概念ではないものの、国主導で人的資本の重要性が説かれ、その情報開示が求められています。
本記事は、人的資本経営を考えるうえで抑えておきたい情報を中心に、人的資本経営に取り組む皆さまの理解促進を重視して構成しました。より具体的なプランニング、アクションについてお悩みの方は、組織人事コンサルティングのマーサー・ジャパンにぜひお問合せください。