人的資本経営の本質を問う  (第5回) 

High angle shot of a young businesswoman explaining work related stuff during a presentation to work colleagues in a boardroom

人的資本経営の一丁目一番地〜人材戦略を考える(前編)

日本CHRO協会発行CHRO FORUM第55号(2023年12月号)
※本記事は、日本CHRO協会発行CHRO FORUMのために書き下ろされた記事の再掲載です
これまで、人的資本経営の概観・意義、人的資本情報開示の方向性と開示に関わる留意点を説明してきた。最後の2回は、「人材版伊藤レポート」で人的資本経営の一丁目一番地と位置づけられている「経営戦略と人材戦略の連動」を取り上げ、人材戦略に関する筆者なりの考えを述べる。

1. 人材戦略という言葉の功罪

筆者が「人材版伊藤レポート」を支持する点は、ドがつくほどの正論を、真正面から打ち出した潔さにある。「人的資本経営は、企業価値向上のゴールから逆算して考えるべき」、「人的資本経営は、人事アジェンダを超えた全社経営アジェンダとして捉えるべき」など、至極、納得感の高い指摘がそこには並ぶ(一部、筆者の意訳を含む)。これら一連の主張の背景には、日本企業が陥りがちな「人事最適目線に閉じた施策では、本来成すべき企業変革を実現できない」という危機感が透けて見える。同レポートが「経営戦略と連動した人材戦略」を人的資本経営の出発点に据えたことは、「経営の本義に立ち返った本質的な議論を尽くすべし」という、強いメッセージの表れだろう。

一方、人材戦略という言葉の定義や意味が十分に説明されないまま使われた結果、言葉だけが一人歩きしないかという不安を抱いてもいる。戦略とは非常に奥行きが深い、ある意味便利な言葉で、企業経営の現場やメディアなどでも安易に使われがちなワードの代表格だ。筆者は立場上、人材戦略(あるいは、人事戦略、人材マネジメント方針)というテーマでご相談をいただく機会も多いが、それが何を指すのか、何を作れば自社に「人材戦略がある」と言えるのか、同じ企業で働く同じチームのメンバー間ですら、認識が統一されていない場合が多い。

人材戦略という言葉を安易に使うことには、いくつかのリスクが伴う。例えば、戦略という言葉が指し示す対象物を明確にしないまま、どこかふわっとした空中戦の議論に終始してしまい、結果、何も決まらないことは少なくない。何より危険なケースは、単なる思い付き施策の羅列に戦略という立派な額縁を当てはめてしまうと、「企業価値向上に真に資する施策か」という本質的な問の深掘りが不十分なまま終わることだ。それ以外にも、人材戦略という言葉が人口に膾炙すると、「人材戦略とはコレである」という正解探しや、効率よく策定するためのテンプレート・フォーマット探しが始まることにも注意が必要である。

筆者は、昨今の人的資本経営への関心の高まりは、経営の中心に人事を据えて、様々な変革を推し進める大きなチャンスだと考えている。だからこそ、人材戦略という言葉が秘める(?)語感の美しさや万能感に惑わされず、自社の人材マネジメントのあるべき姿とそこに向かう施策について、1つでも多くの企業で本質的な議論を重ねてほしいと願っている。

2. 人材戦略にどう向き合うべきか

戦略という言葉はそもそも抽象度が高いので、人や企業によって言葉の定義や使い方には、ある程度幅が出てしかるべきだと筆者は考えている。それゆえ、「これが人材戦略である」という定義論に大きな意味があるとは思わないし、そこで論陣を張るつもりもない。更に言えば、企業価値向上に資する人材マネジメントが適切に行われていれば、そこに人材戦略という言葉が介在しようが・しまいが、大きな違いはないだろう。

一方で、経営戦略と人事施策を有機的に結びつける思考アプローチとステップには、一定の型があると考えている。

  1. 現状確認:自社の成すべき経営ストーリーを語ったときに、人事施策に行きつくまでのどこかに、ストーリーの綻び・飛び・歪みがないかを確認する。
  2. ストーリー構築:適切な問を立て、適切な順番・時間軸・情報粒度で適切な対象と議論を深め、綻び・飛び・歪みを埋めるストーリーを言語化する。
  3. 合意形成:言語化したストーリーを、しかるべきステークホルダーに、しかるべきアプローチで語り、納得感を得る。

本稿と次稿では、これら3つのステップについて、簡単にポイントを説明していきたい。

3. ステップ1:自社の経営ストーリーの「出来栄え」を確認する

改めて、「経営戦略と連動した人事」とは、どういうことだろうか。筆者の中でそれは、ある組織が行う一連の人材マネジメント活動(採用、育成、評価、処遇等)が、当該組織が成したい事柄の実現に向けて、効率的・効果的に機能している状態を指す。すなわち、両者が一連のストーリーの中で論理的に結合し、そこに組織の構成員が納得感を得て、人材マネジメント活動を実行している状態だと考える。

人材マネジメントのあり方を大きく見直すプロジェクトでは、必ず最初にCEOを含む経営チームへのインタビューを行う。そこでは、上記一連のストーリーの解像度を確認するために、自社の経営戦略が何で、そのためにどういう人材が必要で、どのような人事面の打ち手が求められるかを一続きに語っていただく。このとき、CEOを含む経営チームがどれだけの長さ・力強さでストーリーを語ることができるかによって、その会社の経営戦略と人事施策の連動度合いや、人材マネジメントの巧拙レベルなどが概ね想像できる。

 

図表1

ここでのポイントは、左から右にいくほど、大きな構想から具体的なオペレーション・仕組みにシフトし、それに伴って担い手が組織の下層へと移り、専門性も分化していくことである。経営戦略と人事施策が連動している企業には、組織のレイヤーを下っても、ストーリーを語り継げる強さがある。

こういった一連のストーリーが、組織の中で長く・力強く続かない理由はいくつか考えられる。全社戦略のレベルで事業の選択と集中ができておらず、人事の打ち手が総花的になるケースもあれば、事業戦略の解像度が低く、結果的に前例踏襲的な施策しか打てないケースもある(ヘッドカウント総数や、毎年の採用人数を、根拠なく前年維持とする場合など)。一方、こういう人材マネジメントをしたいというイメージはあっても、それが人事部門に正しく伝わっていない、伝わっていたとしてもケイパビリティの問題で実行できないということもあるだろう。

このとき、日本企業でとくにストーリーの綻び・飛び・歪みが起こりやすいポイントとして、経営戦略と個別人事施策を接続する部分が挙げられる(筆者が通常、人材戦略という言葉を使う場合は、当該部分を指す)。多くの企業において、全社戦略はCEOが中心に考え、事業戦略は事業のトップが考える。一方、個別人事施策の企画と実行の多くは人事部門に任されているケースも多く、ここに“担い手”の隙間が生まれやすい。

この構造は、日本企業に固有のメンバーシップ型人材マネジメントと無縁ではない。諸外国で一般的なジョブ型人材マネジメントの世界では、ヒト・モノ・カネという経営資源の調達は、原則、マネジャーの責任と権限の範疇に置かれる。そのため、マネジャーは事業遂行に必要な人員計画を当然のこととして考え、人事部門(HRビジネスパートナー)がその実行をサポートする。一方、新卒採用・終身雇用を前提とするメンバーシップ型人材マネジメントの世界では、人事部門による内部公平性を重視した人材管理の力学がより強く働きやすい。結果、ビジネスと人事のジョイント部分を本気で考える担い手と、本気で方針を実行に移す担い手の両方が曖昧になりやすく、結果的にビジネスと人事が連続性を失いやすい構造にある。

このジョイント部分の“語り部”を期待されるプレイヤーこそ、CHROであり、事業トップの参謀であるHRビジネスパートナーである。彼ら・彼女らに求められる役割は、ビジネスのストーリーを人材のストーリーへと接続・翻訳し、人材の不足部分を専門家として見極め、正しい投資がなされるように橋渡しを行うことだ。加えて、ときには自社の人材のケイパビリティから逆算的に経営戦略のフィージビリティを検証し、実行フェーズでリスクがあるなら、先んじてビジネスリーダーと連携し、ビジネス面か人材面(あるいは、両方)の打ち手を講じることまでが期待される。

このように、自社が語れる経営ストーリーの長さ・力強さを確認すると、どこに不具合がありそうか、改善のためにどのようなアクションが必要かが見えてくる(第6回に続く)。

 

 

経営学者である伊丹敬之氏は、「戦略という言葉は便利な言葉で、『重要なことすべての計画』というぼんやりとした定義のままで語られることも多いようだ」と記し(「なぜ戦略の落とし穴にはまるのか」:株式会社日経BP社、2022年)、楠木建氏もまた、「『戦略』は、入れようと思えば何でも入る便利なハコ」と表現している(「ストーリーとしての競争戦略」:東洋経済新報社、2010年)

執筆者
大路 和亮

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