人的資本経営の本質を問う  (第6回) 

オフィスで撮影された、自信に満ちた女性の肖像画。 Masafumi Nakanishi

人的資本経営の一丁目一番地〜人材戦略を考える(後編)

日本CHRO協会発行CHRO FORUM第57号(2024年2月号)
※本記事は、日本CHRO協会発行CHRO FORUMのために書き下ろされた記事の再掲載です

前編では、(1)経営戦略と人事施策の連動性を確認するには、経営戦略を始点、人事施策を終点としたストーリーを語り、ロジックの綻び・歪み・飛びの有無を検証すること、(2)欠損が見つかった場合、そこを埋めるストーリーを構築し、しかるべきステークホルダーに同意を得ること、(3)これらの欠損は、事業部門と人事部門などといった担い手の接続部分に生じやすいことなどを述べた。

図表1は、一連の人材マネジメントストーリーに含まれるべきと考える要素を図示したものである。本稿では、筆者の経験上、特に多くの企業にとって課題になりやすい2つのポイントを概説する。1つ目は担い手の接続問題の代表格である集権と分権のバランス、2つ目は人材版伊藤レポートでも重要性が指摘されている人材ポートフォリオへのアプローチについてである。

 

図表1 人材マネジメントストーリーの構成要素

1. 集権と分権のバランス

人材版伊藤レポートの大本である伊藤レポートが指摘した日本企業の課題を端的に表すなら、「稼ぐ力」の弱さだろう。事業ごとの稼ぐ力の研鑽に加えて、事業ポートフォリオの取捨選択を戦略的に推し進めることは、企業にとってもはや至上命題と言える。

この動きを人材マネジメントの観点に置き換えると、企業には相反する2つのベクトルが期待されていることが分かる。1つ目は、事業・機能最適の追求だ。VUCAの時代と呼ばれる昨今、同一企業体の事業・機能であっても、ビジネスのライフサイクル・競合・勝ち筋などは多様化の一途を辿っていることが多い。それはすなわち、求められる人材の質・量、人材要件の変化のスピード・マグニチュード、さらには人材調達のシステム(採用、育成、外部提携など)・価格(適正な報酬水準)などのニーズも多様化が進んでいることを意味する。

事業・機能ごとに多様化するニーズに適切に応えるためには、人材マネジメントの責任・権限をよりビジネスに近い場所に移す分権型の経営が望ましい。この時、会社体を切り分ける・ホールディングス制に移行するなどのオプションもあるが、一方で、顧客・技術基盤の分散やスケールメリットの喪失といった様々なデメリットも生じ得る。そのため、同一の企業体は維持しながら、人材マネジメントの観点は、事業・機能最適の遠心力を強めたいというニーズを持つ企業は少なくない。

これらの企業に対し、筆者はジョブ型的なアプローチを推奨することが多い。すなわち、現場のマネジャーに事業・機能戦略からブレークダウンしたジョブをデザインさせ、“ハコ”に入れる人材のマネジメントにこれまで以上の責任と権限を与える。そして、人事はビジネスパートナーとしてマネジャーを側方支援する体制に移行するというものだ(ジョブ型の議論は玉石混交だが、本来は、自社の人材マネジメントプラットフォームの1つの選択肢として議論されるべきだと筆者は考える)。

2つ目のベクトルは、全社最適の追求である。事業ポートフォリオ全体を統括し、全社経営の舵取りを担う経営者とその候補者には、これまで以上に豊富な知識・経験が要求される。そのため、事業・機能を横断する計画的な人材育成がマストになるが、当然ながら、分権化の推進と、全社最適を志向した集権的な人材マネジメントは結節点で矛盾をきたす。加えて、人材マネジメントの分権化を推し進めるとは言え、完全な放任を是とするなら、同一企業である利点が丸ごと損なわれかねない。このため、分権化に舵を切るからこそ、これまで以上に全社人事には、事業・機能最適よりも全社最適を優先するべき部分を適切に見極め、強くガバナンスしていく覚悟と実行力が必要だ。

経営戦略に全社戦略と事業・機能戦略があるように、人材戦略にも全社最適と事業・機能最適の交錯点が存在する。両者のバランスの均衡点をどこに置けばよいか? これもまた企業が抱える事業ポートフォリオの状況や、従来からの人材マネジメントの力点が、“どちらに寄り過ぎていたか”などによって変わってくる。誰が人材マネジメントの何に責任を負い、その構図をどのように組織の役割・権限に落とし込むか。議論の根幹には、自社に適した人材マネジメントのガバナンスに対する深い考察が求められる。

2. 人材ポートフォリオ検討のアプローチ

人材版伊藤レポートの中では、「経営戦略と連動した人材戦略」を実現するために「動的な人材ポートフォリオ」を構築することと、そのために「As is – To beギャップ」を定量把握することの重要性が説かれている。一方で、同レポート2.0では、多くの日本企業において、当該テーマの進捗が遅れていることも指摘されている。

人材ポートフォリオの検討ほど、「言うは易く、行うは難し」なものはない。理屈は簡単だ。現状の人材ポートフォリオを可視化し、あるべき人材ポートフォリオを描画し、差分を導き出す。以上である。それがなぜ「行うは難し」なのかは紙幅の都合で説明し切れないが、ここでは人材ポートフォリオの検討に取り組む企業が留意するべきポイントを1つだけ挙げたい。

それは、人材ポートフォリオの検討はあくまで手段であり、経営戦略の精度を高める検証アプローチの1つにすぎないこと。そのため、アプローチ自体も経営戦略の見立てによって変わり得るし、変わらなければ意味がないという前提に立つことである。

改めて、人材ポートフォリオはなぜ検討するのか? ヒト・モノ・カネと一括りに語られることも多いが、ヒトに関しては、その他の経営資源・資本と比べて、調達や組替えに時間が掛かりやすく、かつ難度も高いという特徴がある(リスキルなどはその典型)。そのため、理想を述べるなら、ビジネスの構想よりも、さらに長期の時間軸であるべき人材ポートフォリオを想像し、そこから逆算して人事施策を立案するべき、ということになってくる。すなわち、人材ポートフォリオの検討は、現在必要な人事施策を探索・検証するために必要な、未来逆算型の思考アプローチだと言える。

逆説的に考えるなら、現状、人材ポートフォリオからの成り行きで経営戦略の実現に大きな問題がないと確信する場合(あるいは、議論をしても意味が乏しいと考える場合)、将来の人材ポートフォリオの検討に時間を割く必要性は高くないと言える(とはいえ、有事に備えて、常に現状の可視化は進めておくべきだが)。だからこそ、人材ポートフォリオの検討が必要だという声が社内で挙がった時には、Howの議論に飛びつくのではなく、経営戦略のブレークダウンから導出される「なぜか」と「何のためか」を煮詰めた上で、経営戦略実行上のペインポイント仮説を言語化し、それを検証する必要十分なアプローチを検討することが重要になってくる。

アプローチの検討には、様々な観点を織り込む必要がある。筆者の経験上、対象スコープ(優先順位付けを含む)、時間軸、ポートフォリオを整理する切り口・メッシュ感、検討体制・プロセス(前述の集権と分権のバランスとも関連)は特に重要だ。この時、日本企業はジョブのラベルを持ち合わせていないために、情報整理の切り口で苦労することが少なくない。なお、グローバル先進企業では、ジョブをさらに分解したスキルの観点でワークフォースプランの検討に取り組む企業も増えてきている。

そもそも、将来の予測がこれまで以上に難しくなっている昨今、企業によっては、経営戦略自体がローリングを前提に策定されることも少なくない(あるいは、時間軸をより短く設定するなど)。このようなケースで人材ポートフォリオの検討をどう位置付けるかは、企業によってスタンスが異なってしかるべきだ。自社の経営戦略のうち、どこまでを不変とみなし、どこからを可変とみなすかは、経営判断そのものである。経営戦略自体が柔軟に変わることを前提にするなら、自社の人材マネジメントも、将来から逆算した思考で組み立てるのではなく、変化に対するアジリティを愚直に高める方向で検討することも一案だろう。

3. よい人材戦略とは何か

以上、語り切れないことは多々あるが、人材戦略について筆者なりの論を述べてきた。最後に、これまで多くの企業を支援してきた実感として抱く、よい人材戦略の条件を挙げて結びと変えたい。それは、(1)よくできた人材戦略ストーリーほど、現場の受け止め方は、「なるほど」ではなく「やはりそうか」になること、(2)その結果、“やること”はもちろんだが、それ以上に、“やらないこと”が組織の共通認識としてクリアになっていることである。

経営戦略と連動した人材戦略は、経営戦略から自然と導き出されるものであることが通常だ。経営戦略を起点に語られる蓋然性の高いロジックであればあるほど、両者の関係性をシンプルで分かりやすいストーリーに落とし込んでステークホルダーに伝え、それを確実に社内で実行に移すことが重要になってくる。

2021年に人材版伊藤レポートが発出され、人的資本経営という言葉は一定の市民権を得た。人的資本情報開示の動きも、今後ますます進んでくるだろう。大事な点は、これらの動きは企業にとってあくまで外部からの要請に過ぎず、企業価値向上に資する人材マネジメントの高度化自体は、いつの時代も普遍的な経営テーマであるということだ。前編でも述べたが、何が人材戦略かという額縁の議論は意味が乏しく、戦略という言葉を使えば、これまでとは全く異なる特別な施策が突如発見されるわけでもない。1つでも多くの企業において、健全な危機感をベースに、自社の人材マネジメントのあり方について本質的な(しかし、地道な)議論がなされることを願う。

執筆者
大路 和亮

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